近年の技術の進歩は目覚ましい――この言葉は、もはや季節の挨拶のように使われる常套句となりました。しかし実際のところ、その“目覚ましさ”の基準は日々更新され、ますます高くなっているのが現状です。

これまで見向きもされなかった技術や概念が、ある日ふとした事件をきっかけに脚光を浴びる。そんな光景はもはや日常の一部になりました。裏を返せば、「少々の騒動でも起きなければ、世間は見向きもしない」ということでもあります。

技術の民主化が進み、誰もが気軽に何かを試せる時代になりました。スターターキットが安価で手に入るようになり、ものづくりのハードルは確かに低くなったように見えます。そして今や、訓練も経験もない“駆け出しのnewbee”が、自らを職業人と名乗ることすらできてしまいます。

もちろん、鍛錬を重ねて経験を積めば、技術は自然と身につきます。その技術をもって生計を立てる――それが、本来プロフェッショナルと呼ばれる者たちの基盤であったはずです。

しかしながら、技術が進化すればするほど、人間の欲は底知れず膨らんでいきます。かつてビッグデータから傾向を導き出す賢者のような存在だったAIは、今や商売に仕える“従順な奴隷”へと成り果てました。

見たい画像を生成させ、なりたい人物になりきらせる。これは間違いなく、新たな娯楽です。そして同時に、それは強烈な依存性を持つ“アイデンティティへの麻薬”でもあります。

最近とりわけ目につくのは、「商売の個人化」です。自分の時間を切り売りするという形のビジネスは、古来より存在してきました。しかし、インターネットという“場所を選ばぬ市場”の登場によって、その在り方は大きく様変わりしました。

中でも見過ごせないのが、風俗の個人化です。価格が下がったこと自体は、技術の進歩による生産性の向上を物語るポジティブな側面でもあります。

けれども、長年取り組んできた単純作業から解放されたとき、人はふと安堵しながらも、自らの頭と身体の衰えを実感するものです。そしてそのとき初めて、自身の趣味の幅の狭さに気づかされるのです。