砂漠化を止めるという発想の落とし穴 ――「砂を止める」か、「土を変える」か

砂漠化を止めるという。 砂漠化を防ぐために植林し、緑化を進める活動は、信念としては間違っていない。だがしかし――木を植える前に、足元の砂をどうするのか。そこに本質がある。

砂漠を砂漠でない土壌へと変える技術こそが、今まさに求められている。 砂漠が広がっているのは事実であり、覆水盆に返らず。問題は「広がったものを防ぐこと」と「元に戻そうとすること」を同一視してしまう点にある。

元に戻すことは、解決ではない ――同じ石につまずかぬために

一度崩れた均衡を元に戻したところで、それは同じ問題にぶつかる直前の地点に戻っただけだ。焼け石に水、喉元過ぎれば熱さを忘れる。そんな対処療法では、再び同じ轍を踏む。

問題を未然に防ぐためには、その原因そのものを取り除く必要がある。 曲がり角で減速する、カーブミラーを設置する。確かに有効だ。しかしそれだけが方法ではない。

十字路の角度を疑え ――発想の転換という名の近道

十字路を想像してほしい。 見通しが悪く衝突が起きるのは、角度が直角だからだ。ならば、角度そのものを変えてしまえばいい。構造を疑うことこそ、最短の安全策である。

アスファルトと共に人間の文化的生活が根を張ってしまった地域では難しいが、砂漠化が進行しつつある発展途上地域なら、まだ手は残されている。ここで必要なのは小手先ではなく、大局観だ。

エネルギーを「使い過ぎた」のではない ――増やし過ぎたという慢性疾患

「現代社会はエネルギーを使い過ぎている」と言いたくなる。 だが正確には、使えるエネルギーを増やし過ぎたのだ。

これは産業革命から続く慢性病のようなもので、今に始まった話ではないし、これからも繰り返し語られるだろう。病は気から、されど治療なくして完治なし。

省エネルギーとは何を減らしているのか ――一円玉で千円の買い物をする愚

省エネルギーとは、何をどう減らしているのか。 多くの場合、それは電力の節約を意味する。だが電気とは、極めて細かい単位のエネルギーだ。

千円の品物を買うのも、十円の品物を買うのも、一円玉で支払っているようなもの――これが現代文明の姿である。理屈の上では万能だが、効率は最悪だ。

五百円玉二枚、百円玉十枚。適切な単位を使うことが、知恵というものである。

便利さは誰のための省エネか ――人間が楽をしているだけ

すべての家具を電気製品にし、ネットワークで繋げば、同じ原理で一括操作ができる。これは確かに便利だ。 だが、それは人間が省エネルギーしているだけであり、地球が楽をしているわけではない。

歩くエネルギーを減らすために車に乗り、食べる時間を減らすために効率化を図る。そんなものは機械に任せればいい――そうして科学文明は、常に「楽」を求めて進化してきた。

娯楽が文明を加速させる ――楽あれば苦あり、されど技術は進む

時に技術は、高級な娯楽を提供するために用いられてきた。 「楽しい」という感情は動物を活性化させる。ゆえに、娯楽を追求する技術開発は驚くほど効果的だ。

近年の電子ゲームが繊細さを極めているのも、その一例だろう。 現実に限りなく近づき、時に現実を凌駕する世界を見せてくれる。まさに虚実皮膜、ここに文明の矛盾と魅力が同居している。